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ハニー・トラップ


仕事を終えて家に戻ると、自室に向かう途中、小さな弟の部屋から楽しげな声が聞こえた。
今日は早めに仕事が片付いたとはいえ、時間的には少々遅い。
こんな時間まで何をしているのかとドアをノックすると、声をかける前に此方に駆け寄る足音がした。


「兄サマ、お帰りなさい!」
「瀬人、おかえり~」
「……小鳩、来ていたのか」

可愛い弟と共に瀬人を迎えたのは、彼の恋人でもある小鳩だった。
瀬人よりも幾つか年上だが、こうして小学生の弟と共にはしゃぐ姿を見ると、元々の童顔も手伝ってとても成人を迎えているようには思えない。

「兄サマ、みてみて! 姉サマがハロウィンのお菓子を持って来てくれたんだぜぃ!」
「ハロウィン? ……ああ、」

モクバに言われて今日の日付を思い出す。10月31日、ハロウィン当日だ。
瀬人率いる海馬グループにも製菓会社は幾つかあり、当然イベントの為の企画や新作菓子も用意していた。
……が、10月に向けて準備を進めていたのは随分前の事だ。
今は既にクリスマスや正月向けに切り替わっているため、とっくに終わった様な気分になってしまっていた。


「それで、持ってきたと言うのがこれか」

2人の後ろに目をやると、足の踏み場もない程ほど床一杯に散らばった個包装の駄菓子が見える。
ばら撒いただろう事が容易に想像がついた。

「フン、ハロウィンと言うよりは餅投げだな。貴様は渡し方も知らんのか」
「知ってる知ってる。でもせっかくだから盛り上げたくて」

トリック・オア・トリートと言うのを待ち、頭の上から菓子を降らせたのだと言う。結果的にはモクバも満足しているのだから正解と言えよう。
それにしても随分と買い込んだものである。
散らばった菓子はどれもひとつ100円に満たない物ばかりだが、仮にも相手は天下の海馬グループ副社長だ。
そんな相手に駄菓子を送りつけられるのは、瀬人やモクバをそんな肩書抜きで見ている彼女くらいだろう。
だからこそ、彼女と過ごす時間はひどく安らぐのだが。



「それで、当然このオレにも菓子は用意してあるんだろうな」
床を埋めつくす駄菓子に目をやり、わずかに口角を上げてそう問うと、小鳩は意外な発言にきょとんとした顔を向けた。
「え? 瀬人にはないよ。ハロウィンのお菓子貰えるのは子供だけだもん」
「忘れたのか? オレもまだ学生だ。世間一般からすれば不本意だが子供という事になる」
「いや、そうかもしれないけど。瀬人はお菓子好きなわけでもないし、いつもいらないって言うじゃない」
「今日はハロウィンだ。特別に貰ってやってもいい」
「そんなズルい!!」

じりじりと近付く瀬人から不穏な気配を感じ取り、小鳩が押されるように後ずさる。

「あ、じゃ、じゃあこの撒いたお菓子を……!」
「それはモクバにやった物だろう。貴様はオレに這いつくばって拾えとでも言うつもりか」
「私はどこの女王様よ!? ……ちょちょちょちょちょ、ストップストップ!」
「モクバ、答えによっては小鳩を借りていくぞ」
「もちろんいいぜぃ!」

あっさり降りた許可に抗議しようとモクバの方を向いたものの、即座に長い指が顎を掴んで方向転換させられた。
目の前に迫るは、端正な若社長の顔。その唇が、緩やかに三日月を象った。


小鳩、Trick or Treat?」


もはや小鳩に逃れる術はない。
顔を引き攣らせた小鳩を素早く掬うように抱き上げると、瀬人はくるりと踵を返した。

「ちょっ、ちょっと瀬人! おろしてよ!」
「それは聞けんな」
「駄目だって姉サマ。今日はお菓子がないなら悪戯される日なんだぜ!」


だから大人しく兄サマに悪戯されてきなよ。


菓子を頬張りながら無邪気に天使の笑顔を向けるモクバに、小鳩は思わず口をパクパクさせた。
赤くなったり青くなったりと忙しい小鳩に、追い打ちをかける如く瀬人が揶揄を含んだ声音で低く囁く。

「行くぞ、小鳩。菓子を持たない貴様にとっておきの悪戯をしてやる。……覚悟しておけ」




ハニー・トラップ

(甘いお菓子に囲まれる筈が、甘い時間に早変わり)



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