抱きしめたい、でも触れられない
これで全てが終わるんだと思った。
黒の上下に黒い手袋、全身を黒で包んだら、夜の闇に容易に溶け込んだ。
準備は、整っている。
武器もある。情報も得た。
逃がさない為の下準備も昨日のうちに終わらせた。
後は、追い続けた標的を相手に、――――どこまで自分が狂えるか。
守りたいものの為なら、狂うことを躊躇うな
あの時は理解できなかった言葉の意味を、今になってようやく悟った。
ああ、きっと今なんだ。
俺が、狂うべき時は。
ふつふつと沸きあがる、憎悪。殺意。
黒で包んだ全身に、黒い感情が満ちていく。
それは多分、平穏な日常に慣れて薄れかけていたもの。
「笹塚、さん」
心なしか早くなりかけていた足が、ぴたりと止まった。
躊躇いがちのその声が誰なのか、振り返らなくてもわかる。
「……小鳩ちゃん。こんな時間にどうしたの」
深夜といえるこの時間。月明かりしか頼りのない、暗く細い道で会うはずのない相手だった。
否、会ってはいけない相手だった。
「ずっと無断欠勤してるって聞いて、……もしかしたらと思って探してたんです」
「心配してくれるのは嬉しいけど、こんな時間に1人で出歩く方が危ないだろ」
「ッ笹塚さん!」
「俺は大丈夫だから、帰りな」
続く言葉を遮って告げたら、背中越しに少し迷ったような気配がした。
「……今日は、送るからって……言ってくれないんですか」
「……悪い。気をつけて、帰ってくれ」
「振り向いても、くれないんですか」
「………………悪い」
短く一言だけ返したら、小さく息を呑むのが聞こえた。
やがて沈黙が降りて、再び足を踏み出そうとした時、ささづかさん、と彼女が呼んだ。
「いってらっしゃい……」
小さな泣き声のようなそれに言葉も返せず、代わりに一度だけぎゅっと瞼を閉じた。
その甘い響きを胸の奥へ奥へと押し込んで、顔を上げる。
「……いってきます」
救いは、彼女がそれ以上追求しなかったこと。
それ以上距離を詰めようとしなかったこと。
俺を止めようとしなかったこと。
許されるなら、全てが終わったその後に。
――この哀れな復讐鬼が、君の手で人に戻れるように。
抱きしめたい、でも触れられない
(君に触れれば、きっと)(狂うことを躊躇ってしまう)
title:恋したくなるお題