知らない、フリ
トップシークレットをすっかり忘れていたというわけではない。
ただいると思っていなかった、随分と懐かしい人の姿を見つけて少しばかりテンションが上がって声を掛けてしまっただけだ。
それがまさかこんな事になるとは思ってなくて。
「ねぇ、どういう事って聞いてるんだけど出久」
「だ、だからその……突然変異っていうか、一種の成長不良だったというか……」
「私の目を見れないのはやましい事があるからだよね?」
壁際に追い詰められた状態で、顔の横に彼女――小鳩ちゃんの手が置かれている。
これはいわゆる世間一般でいう壁ドンとかいう物だろうか。距離が近い。
だけど僕の全身を駆け巡るドキドキはそれによる甘酸っぱい感じではなく、完全なる恐怖と動揺だ。
小学校の時に引っ越してしまった小鳩ちゃんが普通科の制服を着て食堂から出てくるのを見かけたとき、つい嬉しくなって名前を呼んだ。
幼稚園の頃から女だてらにかっちゃんの右腕のような存在で、けれど僕を馬鹿にする様なことは一切しなかった彼女は、幼いながらも僕の憧れだったから。
少しでも話が出来ればいいと思って笑顔を向けた僕を見るなり、腕を引いて裏庭へと連れ出され――今やこの状態だ。
逃げ場を求めて落とした視線の先には彼女の手から投げ出された鞄があり、そこからノートや本が何冊か滑り出している。
中には愛読書なのかたくさんの付箋が付けられた心理学の本も顔を覗かせていて、一気に血の気が引いた。
小鳩ちゃんが心理学なんて学んだら最強じゃないか!
「ねぇ。あんな強力な個性、どうやって身に着けたの。方法があるなら教えてってば!」
「ほ、方法なんて……小鳩ちゃんだって相当すごい個性じゃないか」
「! ……私のは……」
不意に強気だった声が沈んで、思わず顔を上げそうになった所をぐっと堪える。
危ない危ない。小鳩ちゃんの様子は気になるものの、うっかり目が合ったら大変だ。
だって彼女の個性は確か“読心”――目の合った相手の考えを読むことが出来るものだった。
もっとも当時はうまく個性が使えなかったのか、必ずしも読み取れたわけではなかったようだけど、月日が経った今はどうかわからない。
今正に個性の事を聞かれているというのに、ワンフォーオールの事を考えずにいられるわけはないんだから、僕に出来る防衛方法はもはや視線を足元へと縫い付ける事だけだ。
「お願い、個性が後付け出来る方法があるなら知りたいの!何の個性でもいいから」
「そんないくつも個性持つ必要なんて」
「出久はかっちゃんの隣に並べる資格を持てたからそんなこと言えるんだよ……!」
「え、かっちゃん?」
絞り出すような声に一瞬顔を上げてしまったけど、幸い小鳩ちゃんは僕を見ていなかった。
――もしかして小鳩ちゃんの個性はまだ不安定なのかな。
かっちゃんと小鳩ちゃんが離れてからもずっと連絡を取っていることは知っていた。
個性の成功率が低いことを知りながらも没個性だと罵ることもせず、かっちゃんは彼女を常に傍に置いていたし、多分今も気にしてはいないから続いてるんだろうけど。
でも小鳩ちゃんは、雄英でも注目を浴びるかっちゃんに引け目を感じてしまったのかもしれない。
もしかしてそれで新しい個性が欲しいなんて言い出したんだろうか。
小鳩ちゃんは子供の時からずっと、かっちゃんの隣にいる事だけを望んでいたから。
きっとずっと、今も変わらずかっちゃんの事を――……。
「テメェらそんなとこで何しとんだ」
「ひっ!?」
突然低い声が飛び込んできて、思わず肩が跳ねる。
反射的にそっちを向けば、予想通りそこには機嫌の悪そうなかっちゃんが此方を睨みつけて仁王立ちしていた。
「あ、か、かっちゃ……」
「こんな人けのない所で何してんだっつってんだクソデク、小鳩」
「いや、あの……」
どっちがどっちの言葉かわからないくらい、お互いもごもごと口籠る。
「俺には言えねぇってか。爆破される前に答えろや」
「いやいやいや! それはあまりに短気すぎるから!!」
あ。余計なこと言った。
一瞬にして悟ったものの時すでに遅く、爆発音とともに僕の体が吹っ飛んだ。
ぶつかった感触がなかったあたり、小鳩ちゃんは咄嗟に僕を囲んでいた腕を引いたらしい。
反射神経もいいんだろうけど、小鳩ちゃんは昔からかっちゃんの思考や行動だけは読む成功率も高かったから、今も読めたのかもしれない。
「――あっ! そ、そうだかっちゃん! 小鳩ちゃんの目は見ないで!!」
「あァ?」
「!! ……やっぱりなんか隠してるんだ……!」
「あっ……!!」
唯一秘密の共有をしてるかっちゃんから読み取られかねないことを危惧して注意したことが裏目に出た。
口を塞いでももう遅い。下を向いていても2人分の視線が突き刺さるのが分かって冷汗が噴き出してくる。
察しのいいかっちゃんの事だから、僕が個性の事を聞かれているとすぐわかったんだろう。吐き捨てるような短いため息が聞こえた。
「目を見たところで問題ねぇ」
「え?」
「―――こいつは、無個性だ」
「……え!?」
まさかの言葉に小鳩ちゃんを見ると、一瞬目が合った後即座に逸らされた。
「嘘だったの!? ずっと!?」
俯いた顔が青褪めているようにも見える。返事はなくとも、それが何よりの答えだった。
思わず絶句する。
個性が表れるという4歳頃から(そう言えば小鳩ちゃんも個性発現が遅かった)ずっと嘘をつき続けてきたということか。
女の子の方が早熟だというけれど、そんな小さな頃から個性のある振りをしようと決意していたことに驚く。
「……かっちゃん、知ってたの?」
「テメェが必死に個性持ちぶってるガキの頃からな」
震える声で問う小鳩ちゃんに、さも当然の様にさらりと告げるかっちゃんからは、来た時の様な鬼の形相は消えている。
そうだ。思い返せばかっちゃんは昔から、小鳩ちゃんにドジだとか愚図だとかいっても没個性だとは言ったことがなかった。
それは読心の個性に一目置いていたわけではなく、―――嘘だと、知っていたからだったんだ。
「じゃあ、なんで」
「…………別に。ンな事どうだっていいわ」
「……いいの?」
「今更下らねぇこと聞いてんじゃねぇわ、くそが」
ぽつり、ぽつり。涙声の小鳩ちゃんと、暴言とは裏腹に静かな声音のかっちゃんが僕の知ってる2人と違って思わず呆然と見守ってしまった。
途端に何見てんだとばかりに吊り上がったかっちゃんの目に慌てて立ち上がって踵を返す。
このままここにいたらまた爆破されると長年の経験が告げている。
それじゃ僕はお先に、と肩越しに見たかっちゃんは既に背中を向けていた。
ああ、もしかして僕と小鳩ちゃんが2人でいたのが嫌だったのかな。
そう思ったけど絶対口には出しちゃいけないやつだとぐっと飲み込んで寮に向かって駆け出した。
“じゃあ、なんで黙って傍に居させてくれたの”
“…………別に。理由なんてンな事どうでもいいわ”
“……無個性だけど、いいの?”
“関係ねぇ。今更下らねぇこと聞いてんじゃねぇわ、くそが”
さっきの2人の会話が、音にならなかった部分まで一緒に耳の奥で繰り返される。
――――ああ。
何だか僕、あの一瞬だけ読心の個性が使えたのかもしれない。
知らない、フリ
(帰り際にかっちゃんが彼女の手を引いていたことも、全部)
2021/02/21
title:はちみつトースト