指先一本のふれあい
「いたっ」
バチンと小さな音がして、指先に痛みが走る。
嫌な予感がしてジンジンする右手を見たら、案の定中指の爪に横一直線の割れ目が入っていた。
机に詰まった教科書たちを引っ張り出そうとして、引っかけた指先が滑った所為だ。
爪の白い部分が斜めに半分まで剥がれているものの、もう半分がくっついているから迂闊にむしりとる事も出来ない。
どう見ても深爪になる位置まで切り込みが入ってるけど、放置しておいたら一層被害が広がりそうだ。
「指、どうかした?」
さてどう処理しようかと半分割れた爪を弄っていたら、ふいに隣の席から赤葦の静かな声がした。
「爪割れちゃったんだ。赤葦、爪切りとか持ってないよね?」
「爪切りは持ってないけど」
「だよね~」
「爪やすりならあるよ。使う?」
「え!?」
机の横に引っかけたバッグを漁ったかと思えば、シンプルな爪やすりを取り出して差し出してくる。
男の子がこんな物持ってるとは到底思ってなかったから、半ば呆然とした状態でそれを受け取ってしまった。
「すごいね、赤葦こんなの持ち歩いてるんだ! 女子力高いね!」
「女子力とかじゃなくて、普段よく使うから」
「普段から爪の手入れしてるの!? 私爪弱くてすぐ割れるけど、まともにこんなの使った事もないよ!」
「……柚原は多少使うようにした方が良いかもね」
「あ、そうですね……」
自分の女子力のなさを無駄に露見した挙句、アドバイスまでされるとか本気で居たたまれない。
恥ずかしくなって爪を整える事で誤魔化そうとしたら、隣から何やらくぐもった声が聞こえた。
あっ、こいつ笑ってやがる!
じろりと横目で睨んでやったら、余裕の笑みで返された。悪びれもしないのか、この男は!
「柚原、それじゃ爪が余計にガタガタになる」
「だから言ってるでしょ、私あんまり使った事ないんだって。爪切りでバチバチ切っちゃう人だから」
「ホント柚原って豪快だよね」
「それ、あんまり褒められてる気がしないなぁ……」
確かにガサツだけど! それは認めるけど! 今だってやすりを上手く使えなくてイラついてるけど!
もたつく私を見かねたのか、赤葦が此方に手を伸ばす。
「柚原、貸して」
「へ?」
「ほら、やってあげるから」
返事をするより早く、赤葦が私の手を掴んだ。
そのままやすりを取り上げたかと思えば、私の右の中指を摘み慣れた手つきで歪になった爪を整えていく。
必然的に私の方へ少し屈む形になり、更に手を(正確には指だけど)取られてるともなると、何だかこう……かしずかれてる様でくすぐったい。
「う、うまいね。赤葦の意外な女子力……」
「ポジション柄、指先に気を遣うだけだよ」
「ポジション?あ、セッターだっけ」
そう、と私の爪から視線を外さずに短く答える。
言われてみれば赤葦の爪はどれも綺麗に短く揃えられていて、……と言うか爪どころか指も手も綺麗だ。
男らしい骨っぽさはあるのにすらっと長くて、なんというか色気がある。
嫌でも視界に入る自分の指が比較対象になってしまって恥ずかしくなった。
せめて荒れた手にハンドクリームくらい塗っておけばよかった。うわっ、ささくれ出来てるし!
「柚原、もう少しだから指引かないで」
「ご、ごめん」
引け目から無意識に手を引いてしまったらしい。阻止しようと赤葦の指に軽い力が入る。
お陰で赤葦の体温とか感触とかよりダイレクトに伝わってきて、どきどきした。
やばい、掴まれてる指が何か熱を持ってきた気がする。
汗、手汗とか大丈夫かな。この場合は指汗?
妙に舞い上がってしまっているのか、会話する事も忘れてくだらない事にばかり意識が集中してしまう。
シュッシュッと小気味いいリズムが途絶えたかと思えば、突然指先にふっと息を吹きかけられて思わず肩が跳ね上がった。
「うひゃっ!?」
「あ、ごめん。つい終わった時の癖で」
「あ、そ、そう。ありがと」
何て心臓に悪い癖だ!一気に体温上がったわ!
でも私の反応に驚いた赤葦の目のぱちくり感はちょっとかわいかった。
この至近距離でそれがまたズルいと思うけど。
漸く解放された中指は、また引っかけて悪化しない様ぎりぎりの所まで綺麗に爪を整えてくれてあった。
「それ以上やると深爪になっちゃうからやめたけど、気になる様なら絆創膏貼って」
「や、大丈夫。全然引っかかんないから」
削ってもらった爪を撫でてみるけど、割れた事が殆どわからない。
むしろ両手の爪を見比べても、被害にあってない他の爪の方が形が悪く見えてくる。
「私も爪やすり買おうかなぁ」
「柚原の場合、どこまでも削って深爪しそう」
「ちょっと。それは不器用って事ですか」
「……どうかな」
その間はなんだ。いつもより緩んだ口元はなんだ!
無表情ぶりに定評のある赤葦だけど、話す様になるとよくわかる。これで結構顔に出るんだよね。
「まぁ買わなくてもいいと思うよ。使いたくなったら貸すから言って」
「えぇ、席替えして離れても?」
「いいよ。お手入れ付きで出張サービスしとく」
一瞬意味が分からなくて目を瞬かせると、たった今整え終わった中指の爪を赤葦が掴む。
「柚原、子供みたいな可愛い爪してるよね」
「な――……」
にそれ、褒めてるの?貶してるの?
言い返すはずの言葉が音にならず、ただただ目を細めて爪に視線を落とす赤葦を見てしまった。
「俺、案外世話やくの嫌いじゃないみたいなんだ」
「は、はぁ……」
ああ、困った。また指が熱い。
意識が触れている部分に集中して、もはや赤葦が言ってる事も頭に入ってこない。
指先から徐々に全身に熱が帯びていくのを感じながら、真っ赤になる前に早く手を離してくれないかと切に願った。
(赤葦ってもしかして爪フェチなの?)(……俺の話、ちゃんと聞いて)
title:恋したくなるお題