泣きたいのに零れたのは笑顔
「へーぇ、そんな日があるんだ」
佐助の感心したような声に槍を振るう手を止め振り返ると、声の主と共に廊を歩く小柄な姿が目に入った。
(今日も小鳩殿は元気そうでござるな)
聞こえた明るい笑い声に、鍛練中だったことも忘れてつい目で追ってしまった。
この幸村と年のあまり変わらない少女――小鳩が上田城に来たのは2ヶ月ほど前になる。
上田城の近くでさ迷っていた所を保護され、以来共に暮らすことになったのだが、自分を戦国とは違う別の所から来たのだと風変わりな事を言う娘だった。
確かに言動に少し変わった所があり、幸村が元々女性に苦手意識を持っている事もあって当初はお互い戸惑っていたものだが、天真爛漫な小鳩の性格が幸いし、今ではすっかりこの城内に溶け込んでいる。
「楽しそうに、何の話でござるか?」
「あぁ、旦那。それがさ……」
「あっ!」
楽しげな様子に声をかけると、答えかけた佐助の言葉を遮って小鳩が一歩前に出た。
突然何事かと目を瞬かせた2人に、小鳩はばつが悪そうに目を泳がせたあと、それを誤魔化す様にへらりと笑った。
「その、私の世界の話をしてたんですよ」
「ああ、そうでござったか」
「記念日とか行事の話なんですけど、こっちにはまだない物も多いみたいで、それで……」
そこまで言って、先程まで明るかった小鳩の表情がふと曇る。
その気配は佐助も読み取ったのか、後ろからどうしたのと佐助も顔を覗き込む。
「小鳩ちゃん?」
「あ、ごめんなさい。……何だか、ちょっと懐かしくなっちゃって」
「……ッ、小鳩殿……」
慌てて俯きかけた顔を上げ、無理に笑って見せる少女に胸が痛んだ。
気が付いたらここに居たのだと彼女の話を聞いて以来、元の世界に帰る方法を一緒に探しては来たが、一向に情報は集まらないままだった。
(小鳩殿……。普段は明るく振舞っておられるが……)
心細さや寂しさはどれだけ自分が励ましても埋められるものではないのだろうと思うと、その無力さに憤りすら感じる。
「小鳩殿、安心してくだされ。某が必ず小鳩殿の帰る方法を探し出してみせまする!」
「そうそう。ちゃんと旦那と俺様がおうちに帰してあげるって」
「幸村さん、佐助さん……。ありがとうございます」
彼女らしくもなく眉を下げて微笑むと、でもいいんですと言葉を続けた。
「実は私、帰らずにここに残ろうかなって思ってるんです」
「……へ?」
「小鳩殿……ッ、それは…真でござるか?!」
予想だにしない発言に思わず身を乗り出した。
確かに小鳩は上田での生活も楽しんでいるようだった。
帰らなくてもいいと思える程気に入ったのだろうか、そう思って喜びかけた――瞬間。
「嘘ですよ」
「――――……は?」
先程までとは打って変わってけろりと答えると、悪戯っぽく舌を出す。
その変化がとっさに理解出来ず、たっぷりと間が空いてから零した一言は呆けた表情も相まって随分と間抜けだったに違いない。
「あははは! 今日、4月1日はエイプリルフールって言って、私の世界じゃ嘘をついてもいい日なんです!」
そんな幸村を遠慮なく笑い飛す小鳩を見て、佐助がやれやれと頭に手をやった。
この話はつい先程聞いたばかりだ。遊び心の強い小鳩の事、ちょうど幸村が声をかけたのでやって見せたという所だろう。
一方の幸村は、前情報があり飲み込みの早い佐助と違い相変わらず状況が理解できずにいた。
「嘘をついてもいい、日?」
「そうです。心配させちゃってごめんなさい、幸村さん」
「では……帰るつもりがないというのは……」
「嘘です。方法がわかればちゃんと帰りますよ~」
屈託なく告げられて、漸く先程の表情も全て芝居だったと気が付いた。
嘘。彼女にとっては悪意のない、ただの冗談。
「そ、そうでござったか! いや驚き申した。てっきり本当に諦めてしまったのかと…」
「そう簡単に諦めませんよ。大体、いつまでもお世話になってられませんしね」
そういう小鳩の表情には宣言通り微塵も諦めの色は見えない。
喜ぶべきことなのに、それが何故か幸村の胸を締め付けた。
「小鳩殿が元気をなくしてしまったのではなく、ようござった」
「それだけが取り柄みたいなものですから! ……あっ、私台所に行く途中だった」
それじゃと手を大きく振って走っていく後姿をぎこちない笑みで見送ると、口の中で今一度繰り返す。
「………よう、ござった……」
呟きをきっかけに自嘲染みた笑みへと変わる。
彼女は帰ることを望み続けている。それは分かっていたはずなのに、残ると聞いた瞬間、心が躍った。
自分でも知らず知らずのうちに、願っていたのだ。
――彼女が、諦めてしまう事を。
このまま自分の元に居ると、言い出す事を。
よりによって、あの嘘で気づいてしまった。
「佐助。今日は嘘をついてもいい日、だったな」
「……そうらしいね」
佐助が肩を竦めた。あえて此方を見ずに、告げる。
「頑張ったじゃない、旦那。初めての“嘘”」