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悩んだ時間は、わずか5秒


「ちょ、……っと考えさせてもらってもいいですか……?」

その言葉が出たのは、多分17年間生きてきて初めてだったかもしれない。
即断即決とまでは行かなくとも決断力には自信のある自分が、まさかこんなに考える日が来るなんて。
お館様こと、かの有名な“甲斐の虎”武田信玄は、引き攣った作り笑顔の私を見て有り難くも「返事は急がぬ」と猶予を与えてくれたけど、正直答えを出すにはどれだけの時間があっても足りない気がする。
動揺からおぼつかない足取りで部屋を後にし、自室近くの縁側まで戻ってくると、庭の方を向いて腰を下ろした。
途端に先程のお館様の言葉が蘇る。

――小鳩、ワシの娘にならぬか。


「それって、この戦国に一生居るって事だよね……」
口にして、その重大さに改めて考え込んでしまった。
私、柚原小鳩は生粋の平成生まれ平成育ち。この戦国に何故か飛ばされ、お館様の元で保護されてから、早1年近くが経とうとしている。
一向に帰る手立ても飛ばされた理由もわからない所為で何となく居ついてしまっているけど、いい加減客人としてただ飯食らいをしているのも心苦しいと思っていた。
とは言え勝手が違い過ぎて台所仕事はもちろん、掃除洗濯さえもままならない私に仕事が与えられるはずもなく、役立たずの私は周りの目が気になって、ここ暫くは随分居心地の悪い思いをしていた。
恐らくお館様はそんな私を見かね、助け舟のつもりで言ってくれたに違いない。
武田家の姫ともなれば至れり尽くせりが当たり前で、きっと私も働いてる人達も受け入れやすいと思ったんだろう。

「でもなぁ……うぅぅん……」
小鳩殿?どうなされた」
「わあっ!? ……あ、幸村さんか。こんにちは」

頭を抱え込むとほぼ同時に声がかけられて、思わず飛び上がってしまった。
声の主は迷子の私をお館様と一緒に拾ってくれた幸村さんだった。見慣れた顔に今度はほっとする。

「驚かせてしまい申し訳ない。珍しく思い悩んでおられた様だったので」
「珍しくって。……や、まぁその通りですけど」

私以上に直感で動く幸村さんに言われると複雑だ。

「それでどうなされた」

相談に乗る気満々で隣に座る幸村さんを見て、この人最初は全然近寄ってくれなかったのになぁなんてちょっと笑ってしまう。
迷子の私をお館様が拾ってくれた時後ろに付き添っていた彼は、極端に女性慣れしてないとかで妙に挙動不審だったのを覚えてる。
それから何度も顔を合わせ話す様になって、年も近い所為か今や一番の仲良しだ。

「実は進路で迷ってます」
「進路……でござるか?」

意味が分からないとばかりに目を瞬かせる。まぁそうだろう。戦国で進路なんて言ったらただの進行方向だよ。

「えーと、お館様が私を養女にしてくれると言ってくれたんですよ」
「なんと! 良い話ではござりませぬか!」

あ、いい話なんだやっぱり。そうだよね、お姫様だもんね。
顔を輝かせて身を乗り出す幸村さんだったけど、対照的にいまいち反応の薄い私に今度は首を傾げる。
何でそれで迷うのかと言いた気だ。この人、完全に私が平成生まれの人間だって忘れてるんじゃなかろうか。
こっちとしたら現代に帰るのを諦めるか否かの人生を賭けた分かれ道だ。
もう2年生になるし、ぼちぼち考えなきゃと思ってた進路希望が、まさかこんな形で迫ってくるとは思わなかった。

小鳩殿はお館様が……武田が嫌いでござろうか」
「え!? いえ、そんな事ないです! みんな親切だし、お館様もいい人だし」

突然眉を下げ、心配そうな声の幸村さんにぎょっとして、若干早口になりながらも否定する。
途端にほっとした、子供の様な笑顔を見せるんだから、この人はズルいと思う。

「では何故迷われるのでござるか? 小鳩殿は武田の人間でない事を気にしておられた。こんなにいい話はありませぬぞ」
「うん、そうですよね。それはわかってるんですけど」

膝を抱え、顎を置く。その所為で返事がもごもごと聞き取り辛くなったのかもしれない。幸村さんが首を傾げた。
実は、もう何となく自分の時代には帰れないんじゃないかと薄々感じ取ってる。
元々考えても仕方ない!って楽観的な思考なだけに、心身共に馴染むのが割と早かったって事だろう。
今回の話がなければ恐らく気付かなかったけれど、私はいつの間にかここで生きていく決心が出来ているのかもしれない。
それでもいつもみたいに即決断が出来ない原因と言えば、思いつくのはやっぱり―……。

「家族や友達に会えなくなるのが、ちょっと寂しいんだろうなぁ」

私は別に家族と仲が悪かったわけじゃないし、親しい友達もそれなりに居たしね。
そんな事を考えていた声は上の空で覇気がなかったのだろう、幸村さんはきゅっと口を噤んで下を向いてしまった。
しまった。別に感傷的になってた訳じゃないのに。

「あ、あの幸村さん。大丈夫ですよ? 寂しいのは本当ですけど、でも」
小鳩殿!!」
「うわっ!? はいっ!」
「心中、お察し致しまする……!」

覗き込みかけたら突然勢いよく顔が上がったので、咄嗟に飛び退いて間一髪頭突きを避ける。

「これまで共に生きてきた家族や友人と、言葉も交わせぬまま今生の別れとなるのは辛いでござろう。しかしなれど、ここで結んだ縁も同じ位あると思ってはくださらぬか」
「え、あ、それは勿論」

勢いに押されながらもこくこくと頷くと、一瞬ほっと緩ませたかに見えた顔を再び引き締めた。
乗り出す様にして私を見つめてくる所為で、どんなに背中を逸らして距離を取っても視界一杯に幸村さんが映る。
現代ならば某アイドル事務所にでも居てもおかしくないその端正な面持ちに思わず息を飲んだ。

小鳩殿が残る事で失う友も家族も、この甲斐できっと新たに手に入れられると某は思っておりまする。勿論この幸村、その為の力添えは全力でさせて頂く!」
「あ、有り難うございます。あの幸村さん、出来ればもう少し離れて……」

熱い彼の言葉は嬉しいけれど、この至近距離では如何せん声が大きすぎて鼓膜が悲鳴を上げそうだ。
申し訳ないと思いながらちょっとさがらせてもらおうと身動ぎすると、幸村さんはそれを逃亡とでも勘違いしたのか、私の腕を突然掴んで引っ張った。

「お待ちくだされ、小鳩殿!!」
「ひえっ!?」

当然武将の力に敵うはずもなく、離れる所か逆に距離が縮まる。いや、縮まる所か彼の腕の中に勢い余ってダイブしてしまった。

「も、申し訳ござらん!!」
「こちっ此方こそ!!」

慌てて離れようとするものの、何故だか金縛りの様に体が動かない。
違う、動かないんじゃない。動けないんだ。
幸村さんの腕が私を引っ張ったまま、そして受け止めてくれた反対の腕が腰へと回ったまま。これじゃ身動きが取れない。

「あ、あの、幸村さ……」
小鳩殿!!」
「ひっ!? はっ、はい!!」
「武田に入る事に迷いがあるのであれば、我が真田に来られては如何か!!」
「…………は、い?」

至近距離でわんわん叫ばれて若干耳鳴りが襲って来てるけど、それを掻い潜って何やら新しい選択肢が聞こえた気がする。
ゆっくりと腰を支えていた腕の力が抜けて、漸く幸村さんとの間に空間が出来た――と思えば勢いよくがしっと両肩を掴まれ飛び上がってしまった。

「某と新しい家族を築きましょうぞ!」
「え、…………は!?」
「某の、伴侶となって頂けぬだろうか」
「は――…」

……んりょ。
耳慣れない単語にぽかんとして繰り返すはずの音が霧散した。それって、確か。


「……幸村さんと結婚するって事ですか……?」


再確認するのもどうかと思ったけど、半ば呆け気味の問いに耳まで赤く染めながら真剣な顔で大きく頷いてくれた。

小鳩殿をずっとお慕いしておりました。迷っておられるのなら武田だけでなく、どうかこの幸村のことも考えて頂ければと……!」

ひえっ、本当にプロポーズだ。まさか高2にして永久就職の進路まで増えるとは思わなかったよ!
だけど、……あれ?
幸村さんにつられてじわじわと顔を熱くしながらも、ふと冷静になって考える。
これって途中経過の選択肢が増えただけで、結局戦国に残るかどうかの結論は変わらないのでは?
こんな時なのに妙に冴えてしまった自分が少しおかしくて、ついつい堪えきれず噴き出してしまった。

ああ、そっか。気付いてしまえば何て事はない。
私の決断が速いのはいつも、最優先にしているものがあったからだ。


小鳩、殿?」
「あ、すみません。じゃああの、不束者ですけど宜しくお願いします」
「!? そ、それは……その、某を選んでくれると言う……?」
「はい。私も、幸村さんが好きです」


すっかり通常運転の私の決断の速さに、今度は幸村さんが状況を飲み込めずぽかんとする番だった。



 
悩んだ時間は、わずか5秒

(決定打はいつだって大好きな人)



title:はちみつトースト




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