隊長の特権
「……なんだって?」
書類を投げ出したまま尽きない松本の無駄話から思わぬ情報が耳に入り、仕事の手を止めて顔を上げた。
俺が聞き返すと踏んでいたのか、にやりと口角を上げた松本が後背もたれに体を預けて此方を振り返る。
「だからぁ、最近あの子人気あるんですよーって言ったんです。柚原」
「……どの柚原だ」
「うちに柚原って言ったら1人しかいないじゃないですか。七席の柚原小鳩ですよ」
もうボケちゃったんですか、と言う余計な一言はこの際突っ込まずに聞き流しておく。
「まぁあの子可愛いですからね~。今まで身内でしか飲みに連れてかなかったから目立たなかったけど、今年の忘年会は色んな所から声かかるんじゃないですか?」
「……。……へぇ」
気のない返事を最後に再び手を動かし始めたものの、先程までと違って何となく仕事に集中出来ず、すっかり冷めてしまっていた茶に口をつけた。
七席の柚原小鳩。そそっかしくてミスも多いが、松本と違って真面目に仕事に取り組む好感の持てる隊員だ。
素直で一生懸命で、でもどこか頼りない所は俺じゃなくてもつい手を貸してやりたくなるに違いない。
正直俺も――――可愛い、と思っていた。
あいつなら確かに人気が出るのもよくわかる。わかるんだが……。
何故だか実際にそうだと聞くと、余計な場に連れ出した松本にイラッとした。
「松本、いい加減仕事しろ」
「何ですか隊長。そんなしつこく言わなくたってやりますよ」
「やってねぇから言ってんだ。何時間休憩してんだお前は!」
自宅のようにくつろぐ松本に机を叩いて怒鳴りつけたら、扉の向こうで小さな悲鳴が上がった。
一拍置いて、そろりと柚原が顔を出す。
「お、遅くなってすみません。書類の提出に来ました」
「……ああ悪い。入ってくれ」
妙に緊張しているのは、自分が出会い頭に怒鳴られたと思ったからだろう。
確認をお願いしますと控えめに机に書類の束を置く。
俺がそれに目を通しているうちに、松本がまたしても仕事をサボって柚原に話しかけていた。
本当に懲りねぇ奴だと眉を吊り上げたものの、その内容に喉元まで出掛かった小言を飲み込んだ。
「ねぇ柚原。忘年会、九番隊とかから誘われたりした?」
松本の楽しげな声音に、ないですよと柚原が目を丸くしたまま首を横に振る。
「あら、本当? 修兵アンタの事随分と気に入ってたから、絶対お呼びが掛かると思ったのに」
なーんだと残念そうな声をあげる松本とは裏腹に、何となく俺は気分が良かった。
まぁよく考えたら柚原は大して酒に強くなかったはずだし、忘年会のような大所帯もあまり得意じゃないと聞いた覚えがある。
心配しなくても呼ばれたところで行ったりしなかったかもしれないが。
「日番谷隊長、あの……書類は問題ないですか?」
「……あぁ悪い、ちょっと待て」
俺がずっと黙っていたのが気になったんだろう、不安げに柚原が首を傾げる。
まさか途中から別のことを考えていたとも言えず、まだ他の隊からはと食い下がる松本を睨みつけた後書類に意識を戻した。
相変わらずちょっとした記入漏れが直らない奴だと思わせる仕上がりに頭を抱えたくなるが、まぁ今日はちょっと気分がいい。
仕方ねえ、これくらいなら俺が直してやっても――……。
「あ、でも今日荻堂さんからお食事には誘ってもらいましたよ」
よし、と言いかけた言葉が思わず凍りつく。
「へえ! いいじゃない、あいつ人気あるしさ。うまく行ったら報告しなさいよ~?」
「いえあの、決してそういうのじゃ……! 話の流れで誘われただけで」
ぐしゃ、と力の入った指先で書類が悲鳴をあげるのが聞こえた。
それが聞こえたのか不穏な気配でも感じ取ったのか、柚原がはっとして振り向いた。
「あっ、すみません隊長。あの、書類は……」
「全部やり直しだ!!」
「ええっ!?」
「ちゃんと見直ししてんのか、お前は! 全部直して再提出だ!」
「はっ、はい!! すみませんでしたっっ!!」
ビシッと背筋を伸ばしたかと思えば、丸ごとつき返された書類を抱えて柚原が部屋を飛び出していく。
……さすがにちょっと良心が痛んだ。
結構な量だ。単純な修正だとしても相当時間が掛かるだろう。
「あーあ、柚原可哀想。隊長があんな言い方したら、あの子今日中にやり直しますよ」
「……だろうな」
「荻堂との約束も断っちゃうんだろうな~」
「………………だろうな」
罪の意識からだろうか。
松本のわざとらしい嫌味をあえて受け止めて、搾り出すように小さく答える。
「隊長、知ってます? そういうの」
返事の代わりに顔を向けたら、松本は背もたれに頬杖をついてにんまりと楽しげな笑みを浮かべた。
「職権乱用って言うんですよ」