いい子ちゃんはもう終わり
バレンタインというのは尸魂界でも一大イベントで、朝からそわそわした空気があった。
かく言う私もその一人で、義理チョコに紛れて本命がひとつ、抱えた袋に入ってるんだけど。
きっと今年もこのチョコは、本来の意味を発揮できずに終わるんだろうという確信がある。
と、言うのも。
「よう、柚原。お前もチョコ配りか? ご苦労さん」
「わっ、檜佐木先ぱ……副隊長!」
袋を抱えたままうろうろしてたら、まさに今考えてた人の声が真後ろでして、思わず飛び上がった。
「別にどっちでもいいって。しかし大変だな、この時期。金欠になんねぇ?」
「あはは、皆さんには普段からお世話になってますから。これ位は気になりませんよ」
「浮竹隊長達がいい子だって褒めるわけだな、その言葉。真面目っつーか。……それにしても大量だな」
「それはこっちのセリフですけど」
先輩が私の袋をみて呆れたようにぼやいたけど、自分こそ片手にはちきれんばかりにチョコの詰め込まれた袋を持っている。
霊術院時代から人気はあったけど、副隊長ともなると知名度が違うから比じゃなさそうだ。
多分隊舎にもまだ一杯あるんだろうな、なんて考えてたら、先輩がそれ、と私の袋を指差した。
「本命にはもうやったのか?」
「いえ、まだです。先輩こそ本命には貰えました?」
「……いや、残念ながら」
質問返しに先輩が苦笑するのを見て、あぁやっぱり、と同じように眉を下げた。
松本副隊長、今年は面倒だから日番谷隊長への義理だけにするとか言ってたもんなぁ。
正直あんまり脈はなさそうだし、いっそ吹っ切っちゃえばいいのに…、なんて。
思わず浮かんだ考えを振り払うように、慌てて頭を横に振った。
――これが、私が本命として渡せない理由。檜佐木先輩には、好きな人がいる。
気持ちを伝えても困らせるだけだとわかってるから、いつも「お世話になってる後輩」としてしか渡せないんだ。
「あのっ、檜佐木先輩! よければこれ、貰ってください!」
心なしか気落ちしてしまった先輩に、急いで袋から自分のチョコを取り出した。
「松本副隊長のチョコには及びませんけど、これには私の気持ちがいーっぱい詰まってますからっ」
「は? 乱菊さんって……」
「檜佐木先輩のは特別頑張ったんですよ。ということで、どうぞ先輩!」
わざとらしい位明るく差し出したら、檜佐木先輩はちょっと目を丸くしたあと受け取って、
「おう、いつもありがとな」
と、いつものように少し荒っぽく、だけど優しく頭を撫でてくれた。
この手が、大好きなんだ。
撫でてもらうたび、この手が、この微笑が、自分だけのものになればいいと何度願ったかしれない。
だけどそんなことを知らない先輩は、相変わらずくしゃくしゃと私の頭をかき回す。
きっとこのチョコも、先輩思いの後輩の精一杯のフォロー。そんな風に思ってるんだろう。
「ホントいい後輩だよ、お前は」
その声がちょっとだけ寂しそうで、酷く胸が痛くなった。
それと同時に、何かが一気にこみ上げた。
「………じゃ、ない、です……」
「ん?」
「私、いい後輩なんかじゃ…ないですよ」
「柚原?」
唸る様に吐き出したら、撫でられたことで俯き加減になったままの私の顔を、先輩が不思議そうに覗き込んだ。
泣き出さないまでも、笑顔を作るのはさすがに難しくて。
そのときの私の顔は、引きつって随分と情けないものだったと思う。
だけど苦しくて。
自分の中の醜い感情を隠したまま、いい後輩の振りをするのは酷く苦しくて。
「すみません。私、これで先輩が松本副隊長のこと諦めてくれるんじゃないかって思ってました」
撫でてくれてた手がぴたりと止まって、視線を上げずとも先輩がどんな顔をしているかは想像がついた。
「そうしたらいつか、私のことを見てくれるんじゃないかって、そんな浅ましい期待してたんです」
それでも消え入りそうな声で続けたら、やがてゆっくりと、先輩の手が頭から離れた。
先輩は軽蔑しただろうか。
散々自分は味方だという顔をしておいて、なんて奴だと思ったに違いない。
これまでの関係を粉々にしてまで、今これを告げる必要はあったのかわからないけど。
それでもいいと思った。
例えどう思われても、打ち明けたくなった。
それは罪悪感からか、それともちゃんと自分を見てほしいという欲求からか。
暫く続いた沈黙のあと、檜佐木先輩はがしがしと頭を掻いて、吐息混じりに口を開いた。
「……じゃあ俺も言わなきゃな」