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夜空を見上げて眩しいと思った


いつか失うものならば

初めから何も望まなければいい




「へぇ。駅の近くにプラネタリウムが出来たんだって」

登校途中に配られたと言うチラシを見ながら、杏子が誰にともなく口にする。
童美野町も賑やかになってきたわねと、独り言にも似た呟きに真っ先に反応したのは小鳩だった。

「それってこの前建ったばかりのトコだよね。何になるかと思ってたけどプラネタリウムだったんだ」
「そういや小鳩は星が好きだったよな。今でも続いてるのか? 公園での天体観測」

途端に顔を輝かせたのを見て遊戯が問うと、小鳩はちらりと暗い窓の外を見た後、晴れた日はね、と肩を竦めた。
「最近雨ばかりだから、プラネタリウムが出来たのはかなり嬉しいかも」
そう言って杏子の後ろからチラシを覗き込む。

小鳩は童美野高校唯一の天文部員だ。
彼女の星好きはなかなかのもので、暇あれば夜1人で天体望遠鏡を抱えて近くの公園へ向かうほどである。
その彼女にとってこの梅雨時期のプラネタリウムの開設は、これ以上ない吉報だったに違いない。

「せっかく近くに出来たんだ。今度みんなで行かないか?」

その気持ちを察して遊戯が言うと、小鳩はうんうんと満面の笑顔で頷いた。
その顔に、誘ってよかったと少なからず安堵する。




『どうせなら2人で行こうって言えばよかったのに』

不満気に響いた心の声にぎょっとして自分の肩の辺りに目をやると、“相棒”である遊戯が、声音通りの表情でこちらを見つめていた。

『梅雨に入って深夜デートはお預けになっちゃってるんだから、こういう時がチャンスじゃないか』
「(あれは別にそんなんじゃない。オレが勝手に付き合わせてもらってるだけなんだから、……小鳩が気を悪くする)」
『聞こえてないから大丈夫だよ。それに、目の前で言っても気にしないと思うけどなぁ』

相棒はそう言って溜息にも似た息をつく。
同じ体を共有している分、会話は口に出さずとも出来るのだから、確かに小鳩に聞こえる心配はない。
我ながら間抜けな事を言ったと、遊戯は自嘲気味に苦笑いを浮かべた。


深夜デートと相棒が称するのは、小鳩の日課である天体観測のことである。
そもそも親しくなった切っ掛けというのがこの観測中に偶然出会ったからで、それ以来遊戯は彼女の居そうな時間を見計らっては公園へ向かうようになっていた。
突然押しかけても観測仲間が増えたと喜んでくれたし、それこそ野外プラネタリウムかと思わせるほど饒舌に星を語ってくれた。
勿論星に特別興味があったわけではない。
初めは女が1人じゃ危ないだろうと、ちょっとした正義感。
それがいつの間にか惹き込まれていた。
――柚原小鳩という、少女自身に。

『ねぇ、もう1人のボク。小鳩ちゃんには本当に言わないの?』

ややあってから相棒が再び口火を切った。それに対し遊戯は一度だけ目を伏せ、小さく頷く。

「(言った筈だぜ、相棒。ずっと一緒に居た杏子や城之内くん達とは違う。海馬でさえ半信半疑なオレの存在を話したところで、余計な混乱をさせるだけだと)」

きっぱりと言い切られてはそれ以上何もいえず、相棒は言葉を飲み込んだ。
小鳩はまだ、“もう1人”の遊戯――古代エジプト王の魂である、彼の存在を知らない。
相棒の厚意でデュエル中以外でもこうして表に出てくる事も多くなったため、2人の違いに薄々は小鳩も気付いているかもしれないが、それでも問い詰められるまでは言うつもりはないし、必要もないと思っていた。

(半分でいい)

記憶も友人達との時間も、何もかも相棒と分け合えるのならば、それだけで充分すぎる幸せだと、遊戯は思う。
いつ在るべき場所へ戻る時が来るとも分からない不安定な魂が、これ以上不相応な望みは持つべきじゃない。
(オレは“武藤遊戯”としてだけ、小鳩の前で居ればいい)
そう言い聞かせながらも、無意識のうちに目が小鳩を追ってしまうのは止められなかった。




梅雨と言えどもたまにはぽっかりと晴れる事もあるもので、あれから数日振りに星空が広がった。
学校近くの童美野公園。そこは知る人ぞ知る唯一高台のある場所で、夜9時頃に足を運ぶと決まって望遠鏡を覗き込む後ろ姿が見えた。

(……小鳩だ)

ほぼ毎日学校で会っているにも関らず、声をかけるのを妙に躊躇ってしまうのは、久し振りに2人きりだからだろうか。
そんな事を考えていると、不意に小鳩が振り返った。

「あ、やっぱり遊戯だ。今日晴れたから来るかな~と思ってたの」

敏感に気配を感じ取ったのか、それとも足音に気付いたのかは分からないが、どうやら遊戯だと確信していたらしい。
にっこりと笑顔を向けられ、遊戯もつられて目を細めた。

「今日は何を見てたんだ?」

再び望遠鏡に向き直ってしまった小鳩の横顔に声をかけると、う~ん、と彼女にしては珍しく曖昧な答えが返った。
そして前屈みだった上体を起こすと、先程とは打って変わって困った様な笑みを浮かべる。

「これと言って決めてなかった、かな。考え事してて何となく空覗いてた感じ」
「観測中に考え事なんて、小鳩にしては珍しいな」

此処に居るときの小鳩は、星以外見えてないんじゃないかと言うくらい夢中になっていることが多い。
隣に遊戯が居ても視線はいつもあの小さな光に向かっていて、それに少しばかり寂しい気持ちにさせられるのだが。
僅か目を見開いた遊戯に気付き、小鳩は散々迷って視線を外すと、たっぷり間を開けてから口を開いた。


「遊戯、ミラって知ってる?」

そのくせ唐突なのは変わらないと苦笑しながらも、星か?と聞き返す。
小鳩は静かに頷くと、傍らの望遠鏡にぽんと手を置いた。
素人目に見ても本格的で年代物だろうそれは、随分と大切にされている事がわかる。

「時期によって明るさが変わる、鯨座の有名な変光星なんだ。この時期はもう暗くなっちゃって肉眼では見えないからこの子の出番なんだけど」

そこまで言って、小鳩はようやくちらりと目線だけを戻した。

「こんな事言うのも変なんだけど……。遊戯にね、似てるかなって思ったの」
「オレに……星が?」
「やっぱりおかしい? 見つけるたびに何故だか連想しちゃうんだけど」

急に恥ずかしくなったのか、小鳩はあははと照れ隠しの笑い声上げる。
遊戯はと言えば、星に似てると言われた経験など当然ある筈もなく、何と答えていいのか分からずにただ目を瞬かせた。
馬鹿にされなかった事で腹が決まったのか、小鳩は思い切って顔を上げると言葉を続けた。

「何ていうのかな、遊戯は遊戯なのに時々違って見えるって言うか。城之内の言葉を借りるなら“見えるけど見えない”人って感じ」
(……!)

ミラの言葉の意味も"不思議なもの”だしね、とどこか茶化した口調で言われるものの、核心をついたそれに大きく心臓が跳ね上がる。
とっさに声が出てこなかった。
ポーカーフェイスを崩したつもりはなかったが、ほんの一瞬表情が強張ったのを見逃さなかったのか。小鳩の口元から笑みが消えた。
月と星の光だけでどうしてこんなにも明るいのかと、ついそんな事を恨みそうになる。
普段なら小鳩のちょっとした表情も見逃さないために、もう少し強く光らないかと思っていたのに、皮肉なものである。
小鳩は黙って答えを待っていた。真摯な瞳が、真っ直ぐに遊戯を捉えて離さない。

(オレは千年パズルに宿った魂だと。もしも今、言ったら)


言ったらどうなる?


遊戯の心にぐらりと迷いが生じた。打ち明けるならこれほどのチャンスはない。
それが引き金の様に、今は気を利かせて心の奥の部屋に居るはずの、相棒の言葉がリアルに耳元で蘇った。
呼応するように鼓動が煩いくらいに高鳴っていく。

―――“小鳩ちゃんには、言わないの?”

「……オレは……」


言ったらどうなるのだろう。
小鳩は受け入れてくれるだろうか?
相棒の言う様に、気にしないと笑い飛ばしてくれるかもしれない。
だがそれでも、……きっと戸惑う。

そこまで考えて、遊戯は開きかけた唇とぐっと引き結んだ。
(オレは言わないと決めた。例え真実でも、小鳩の事を考えるなら言うべきじゃないと)
ならば誤魔化すべきだ。最後まで。

何を言ってるんだといつもの様に笑おうとして、遊戯は思わず凍りつく。


――――“  ウ  ソ  ツ  キ  ”


突如心に響いたそれは、相棒じゃない。紛れもなく自分自身の声だった。

(……オレは……)

その瞬間に、何かを悟る。
否、突きつけられた様な気がした。

(何故小鳩に言わない? ……決まってる。オレ自身飲み込めずに居るこんな状況で、小鳩を混乱させたくないからだ)

それも事実だろう。だが、違う。そんなのは一種の建前だ。
言わなかった本当の、理由は。


「……遊戯?」
続いた沈黙に耐えられなくなったのか、小鳩は首を傾げて遊戯の顔を覗き込んだ。
知らず知らずのうちに俯きがちになっていたらしい。


「……小鳩。もし、……オレが……」

(怖かったんだ)

自問自答の後、のろのろと、半ば呆然としたまま顔を上げる。


「オレが、“武藤遊戯”とは違う……全くの別人だとしたら……」

(ただ、怖かった)


「どうする?」


―――小鳩の態度が、少しでも変わってしまうのが。


口にした瞬間、まわりから音が消えた気がした。小鳩が聞き返すのが、唇の動きで分かる。

(オレは、狡い)

こんな状況になって、今まだ小鳩を試そうとしている自分が酷く情けなかった。
それでも避けたかった。異質な存在だと怯えた目で見られることを。手に入れたこの関係を失ってしまうことを。
だから言わなかった。……言えなかった。
多くを望まなければ、今まで通りずっと傍に居られるはずだと、変えようとはしなかった。進もうともしなかった。
形を成さない半分だけの幸せに、消えるその時までしがみ付いていたかった。


「“キミ“は、誰……?」


届いた声はあまりに静かで、遊戯は耳を疑った。だがそのお陰で、つかえていた言葉がようやく道を見つけて抜け出せた。

「わからない。……オレに記憶はない。ただ分かっているのは、遥か昔のエジプトでファラオとして生きたという事だけだ」
「じゃあ此処に居るキミは、本当なら会う事はなかったんだね」
「……ああ」

小鳩の表情からは、何の感情も読み取れない。恐れも、不快さも、驚きさえ。
その小鳩が、突然大きく深呼吸をした。まるで今ようやく思考が働いたとばかりに。



「こういうの、運命的って言うのかな」


我に返った第一声がそれだった。

「私の勘はあながち間違いじゃなかったってことだ」
眉を顰めることで言葉の意図を聞き返すと、小鳩はどこか嬉しそうに空を指差す。

「遊戯はミラに似てるって言ったでしょ? 何百年も何千年も経ってから出会えるなんて、まさしく星みたいだと思わない?」

あの輝きは遥か昔のものだと、教えてもらったのは始めて出会った時だっただろうか。


「そういうキミだもの。私が惹かれても仕方ないよね」


くすくすと小鳩が笑い出す。
蘇った優しい音に、戸惑うのは遊戯のほうだった。何を言ったのか。どういう意味なのか。
それを問い返すより先に小鳩が一歩近づいた。
微かに頬に触れた温かい感触が、じわりと心に染み込んでいく。
ああこれじゃ“遊戯”くんの役得になるのかな、などとおどけてみせる彼女がたまらなく愛おしかった。


「ずっと好きだったんだ。小鳩、……お前が」


堪えきれずに吐き出した想いがたった一筋、涙となって零れ落ちる。


始めはただ、傍に居られればそれでよかった。
やがて、自分の存在に気付いて欲しいと思い始めた。
そうしていつしか、自分だけを見つめて欲しいと願うようになった。


――――人は、どこまで欲張りになれるのだろう。





「ミラってね、私の一番好きな星なんだ」

帰り道、空を仰いで小鳩が言った。
遊戯も同じ様に小さな輝きを瞳に写す。そこで初めて、星とはこんなにも優しい色をしていたのかと気が付いた。
こうして自分は、失う事ばかりを恐れて、きっと色んなものを見落としてきたのだろう。
相棒のこれ以上ない優しさも、小鳩の真っ直ぐに自分を想う気持ちも、自分自身の、抑えきれない気持ちでさえも。

「プラネタリウムには2人で行こう」


自然と口をついて出た言葉に、小鳩が頷く。


その彼女の視線の先にあるものは、今は隣に並ぶ地上の星。
梅雨とは思えない満点の星空には、変光星の淡い瞬きが見えた気がした。




夜空を見上げて眩しいと思った


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