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終わりの先にある始まり


童実野町にそびえ立つ海馬コーポレーション本社。
その最上階にある社長室で、通常通りパソコンと向き合っていた海馬瀬人は、ふと指を止め顔を上げた。
バタバタという足音に続き、勢いよくドアが開く。


「大変だよ兄サマ!!」


血相を変えてというよりは、やや興奮して飛び込んできたモクバは、そのままの勢いで瀬人の所に駆け寄った。
「モクバ、何があった」
そんな弟とは対照的に至極冷静に続きを促すと、モクバは身を乗り出して叫ぶ。


「兄サマの記録が次々に抜かれ始めてるんだ!」


その言葉に、瀬人は形のよい眉をわずかにひそめた。
モクバのいう記録とは、ゲームセンターの得点ランキングの事である。
大抵の種類のアーケードゲームは高得点を取ると名前入力が出来る仕組みになっており、順位という形で残る。
また殆どのゲームセンターとオンラインで繋がっている為、それはそのまま全国ランキングとなるのだった。
それまで種類を問わずトップを占めていたのは“KAI”こと、この海馬瀬人である。


「フン、ようやく骨のある奴が現れたか」

皮肉気に口端をつり上げ、再びパソコンに目を落とす。
ゲームセンターに立ち寄るのは暫く前に止めていた。
仕事に追われていたのもあるが、デュエルモンスターズのように競い合う相手が居なかった所為だろう。
興味が薄れていたというのが本音だ。

「新作もあるけど、こいつ等みんな兄サマ並の得点キープしてるよ」
「こいつ……“等”?」

思わぬ複数形に反応すると、モクバは持っていた紙――恐らくはデータをプリントした物だろう――を手渡した。
それに目を通して、瀬人はうめくように呟いた。


「なんだ、これは……っ」


大幅に引き離したものからわずか数点差のものまで得点差は様々だが、モクバの報告通り確かに瀬人の記録が塗り変えられている。
だが、問題はそこではなかった。

―――登録名。

中にはイニシャルや名前らしきものもあるが、特に目立つのは“AAA”。
いかにも入力が面倒臭く連打したような、なんともやる気のないアルファベットの羅列である。
(仮にもこのオレの記録を破っておいてこれとは……!)

「くっ…、ふざけるな!」

名無し同然の行為に、瀬人は立ち上がると同時に紙を握りつぶした。

「行くぞ、モクバ!!」

白のロングコートに袖を通すと、すぐさま車の用意をさせる。
向かう先は、童実野高近くのゲームセンター。
当時瀬人が名を広めた場所であり、今また新たな記録が作られている場所だった。






「わぁ、お姉ちゃんスゴーイ!」
「またワンコインでクリアしたぜ!」

画面を覗き込んでいた小学生が次々と歓声を上げる。
それを聞いて中心に居た柚原小鳩は、少しだけ得意気な顔をした。
「……ま、こんなもんかな」
決定ボタンを続けざま押すと登録完了の小さな音がし、画面が切り替わる。

RANKING 1st ……… AAA”


「成る程、貴様が“AAA”か」


突然聞こえた後ろからの低い声に、小鳩は肩越しに振り返った。そこには。
「兄サマ直々に勝負に来てやったんだぜぃ! 感謝するんだなー!」
元気に叫ぶ小学生と、すらりと背の高い――大人びて見えるが隣の小学生が兄と呼んでいるなら高校生くらいだろう青年が立っていた。

(勝負って……。あ~、またか。面倒だなぁ)
先週辺りからこのゲームセンターに通い始めて、何度挑まれた事か。
勝手に乱入してくるならまだしも、鬱陶しい事この上ない。小鳩はちょっと肩を竦める。

「悪いけど、私もう時間だから他当たって」
立ち上がり、横を通り過ぎようとして――案の定腕を掴まれた。

「逃げるのか、貴様」
「私の話聞いてた? 休憩時間終わりだから、勝負なんかしてたら減給されちゃうんだってば」

思わず口元を引きつらせた直後。いいタイミングで店長が顔を出した。
柚原さん、時間」
コンコン、と自分の腕時計を小突いて見せる店長に、小鳩は元気よく返事をする。
「ほらね」
腕を掴んでいた手を振り払い、ふふんとばかりに胸を反らせた。

小鳩が此処に通い始めたのは他でもない。アルバイトの為だった。
勤めていた会社を辞めてから、次が見つかるまでと此処に入ったのである。
ゲームに手を出したのも、休憩時間の暇潰しにすぎない。
だからこそランキングへの興味もなく、やる気のない登録名が残ったのだが。


「フン、貴様ニートか」
「……一応店員なのがわからない? バイトしてますけど」
馬鹿にしたような口調に胸の名札をちらつかせつつムッとして訂正すると、今度こそ踵を返す。

「お姉ちゃん行っちゃうの? 次一番とったら、澪の名前にしてくれるって言ったのに~」
「あ、ゴメンね。じゃあ明日一番取れたら澪ちゃんの名前いれるから」

唇を尖らせる少女の言葉を聞いて、瀬人は再び小鳩を呼び止めた。

「待て! まさか“AAA”以外の登録も貴様だったのか!?」
「え?ああ、多分そうかな。小学生とかよく自分の名前入れて欲しいって言うから」

何でもない事のように言われ、瀬人の怒りが甦る。

「貴様、今すぐこのオレと闘え!」
「嫌だって言ってんでしょ? メリットがないどころか、バイトクビになったらどうしてくれるのよ」

(ああもう、これ以上相手にしてられるか)
さっさと横を通り過ぎようとして、またしても腕を掴まれ引き戻された。
勢いよく引っ張られた為に崩したバランスを立て直すと、いい加減小鳩も口調を荒げ睨み付けた。

「あのねえ……!」


「オレに勝ったら望む物をくれてやる」


間近で端正な顔が不敵な笑みを作る。
(……何なの、この子は)
小鳩は思わず絶句した。
どうだ、と答えを急かす相手に大きな溜息をひとつつき、半眼で告げる。
「今欲しい物なんて、高収入で多休日、残業なしが最低条件の仕事の楽な就職先くらいだわ」
(この不景気にあるわけないけどさ)
これなら断れるだろうと思っていると。

「フン、そんなもので良いのか」

引くどころかますます口端をつり上げる。小鳩は頭を抱えたくなった。
こんな事を言えるのは世間知らずのお坊ちゃんか、絶対に負けない自信があるかだ。
恐らくその両方だろうと小鳩は肩を落とす。
(高校生に見つけられる位なら、こんなトコでバイトなんかしてないっての!)
だが、この相手にはもはや何を言っても無駄だろう。
諦め半分で見上げると、当の本人は満足気に弟に向かって口を開いた所だった。


「決まったな。――モクバ、店長とやらに伝えておけ。この女はオレとの勝負で遅れるとな」


種目はレース・パズル・格闘の3種。
お互いフェアなようにゲームはギャラリーである小学生が決めた。

「あ、そうだ。名前まだ聞いてなかったね。私、柚原小鳩。キミは?」
対戦台に座った小鳩が、向こう側からひょいと顔を覗かせてくる。
「……瀬人だ」
「そう、瀬人くんね。じゃ、始めようか」
てっきり名字は、と聞き返されるかと思ったが、どうやらさして気にするタイプではないらしい。

(少しは此方に興味を持ったらどうだ、この女!)

……とは、癪に障るので言わないが、どうにも軽くあしらわれているような気がしてならない。
童顔にナチュラルメイク、ジーパン姿からはそういくつも年上には見えないが。
(まあいい。すぐにオレの存在を刻み付けてやる)
画面に向き直ると、瀬人はフンと鼻を鳴らした。

久々の昂揚感だと、瀬人は思う。
デュエルモンスターズのライバル、武藤遊戯とデュエルでもしているかのような錯覚さえ覚える。
(いや、どちらかと言えば凡骨か)
こうして対立して分かったが、小鳩は瀬人や遊戯のような頭脳派というよりは、あそこまで運任せでは無いにしろ、直感で動く城之内のタイプに近い。
レースゲームを制し、パズルゲームで瀬人に一歩及ばなかった事や、これまでのスコアのばらつきにそれが反映されている。
とは言うものの、そのレベルの高さには正直、舌を巻いた。
余程飛び抜けた天性のゲームセンスと、強運の持ち主という事だろう。
(面白い……。まだこんな奴がいたとはな)
きっとデュエルモンスターズでもやらせれば今までにない戦略とるに違いない。
1勝1敗の状態にも関わらず、瀬人はわずかに笑みを浮かべた。





軍配は、小鳩にあがった。


「兄サマ…。そんな、兄サマが負けるなんて…」
モクバの半ば放心したような呟きが、ぐるりと囲んでいたギャラリーのざわめきの中、聞こえる。
騒ぐのも無理はない。かろうじで勝敗がついたものの、点差などないに等しい物ばかりだ。


「もう1度お相手しましょうか?瀬人くん」

小鳩が対戦台から顔を覗かせる。
挑発的に言ってはみたものの、実際もう1度やったら勝つ自信などあるはずもなかった。
瀬人は、今までの口だけの相手とは明らかに桁違いであり、小鳩自信どうして勝てたのか不思議なくらいだ。
運が良かったとしか言いようがない。
それでもつい口にしてしまったのは、初めての接戦を楽しいと感じてしまったからだろう。
ゲームは子供の遊ぶもの、なんて何処かカッコつけていた小鳩にとって、それは酷く新鮮だった。
一方の瀬人は静かに立ち上がるとくっと喉を鳴らした。

小鳩と言ったか…。今日はオレの負けにしておく」

どちらが負けたのかわからないような、対戦前と変わらぬ不敵な笑み。
「そりゃまた潔いね」
捨てゼリフも凄いと苦笑い混じりに小鳩が返すと、瀬人はひらりと白のコートを翻す。
「クク……、慌てなくとも機会ならすぐに来るさ」
肩越しにそう言うと、モクバを呼び寄せ何事か指示したようだった。

「安心しろ。約束は守る。――楽しみにしていろ」
「え、約束って…ちょっと!」


小鳩が止める間もなく、迎えに来たらしいリムジンへと歩き出す。
(げ。本当にお坊ちゃんだ……)
口元を引きつらせると、小鳩もようやく腰を上げバイトに戻った。

「兄サマ、おまたせ! あそこの店長から預かってきたよ」
瀬人よりやや遅れて、モクバが封筒を片手に車に乗り込んだ。
「ハイこれ、あいつの履歴書」
静かに走り出したリムジンの中、瀬人は渡された封筒から中身を取り出し一通り目を通す。
「フン、やはりゲーム以外の能力は人並みだな」
もともと期待もしていなかったようで、薄く笑うと運転をしている磯野へと声をかけた。

「磯野。今日中にこの女へ採用の連絡を入れろ」
「は……採用、ですか?」
「そうだ。このオレの秘書としてな」

モクバが隣で目を丸くする。
それまで瀬人は秘書というものをとらなかった。
ちょろちょろされても目障りだと、モクバが大体の事は兼任していたのだ。
命じられた磯野も、意外な言葉に一瞬返事が遅れた。
秘書はとらない主義では、などと余計な一言を慌てて飲み込む。

「分かりました。では今日中に」
「明日からでも出社させろ。バイト先には今日限りだともな」

それだけ言うと、心底楽し気に履歴書の写真へと目を落とす。
天下の海馬コーポレーション。今日対戦した相手が、まさかその社長だとは思うまい。


「どんな顔をするか楽しみだ」


ククク、と小さく喉を鳴らす。翌日が待ち遠しいのはいつ振りだろうか。
小鳩が店長から解雇を言い渡されるのは、この直後の事となる。




終わりの先にある始まり

(夢の好条件が、悪夢じゃないのを祈るのみ)



title:INVISIBLE GARDEN



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