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時が止まればいいのに。


ささやかながら3年生の送別会を開こうという話になった。
じゃあ私招待状作って渡してきます!と宣言の後真っ先に向かったのは、1年の時から想い続けてる瀬見さんのクラス。


「おい柚原、お前手ケガしてるぞ」

他の先輩達より一際気合の入った特別仕様の招待状なのに、肝心の瀬見さんの目は渡したそれよりも私の右手に釘付けになっていた。

「え?ケガ?」
「そこ、右手の中指。血が出てる」

指さす場所を見てみてれば確かに第二間接を横切る赤い筋。いわゆる赤切れとかひび割れとか言う奴だ。

「ホントだ。水仕事してるとこの時期ってすぐ切れちゃうんですよね」
「マネージャーも大変だな…。つーかよく見たらあっちこっち傷だらけじゃないか?」
「よ、よく見ないでくださいよ」

身を乗り出す瀬見さんから慌てて両手を後ろに隠した。
うわー、よりによってこんな汚い手を見られるなんて!
マネージャーの仕事は割と水仕事も多いから、寒い時期は乾燥して手の関節という関節がぱっくりと赤い口を開けるのが日常茶飯事だったりする。
地味な痛みにももう慣れっこであまり気にしなくなっていたけど、改めてみると酷い。
切れて血が滲んでるのは勿論、それが治りかけてカサブタになってるのも結構あるし、そうでなくても赤くなってがさついてしまっている所もある。
何たる女子力の低さ。恥ずかしいったらない。

「あはは、これが女子高生の手かって感じですよね」
「仕方ないとはいえ、まさに働き者の手ってやつだよな」
「……瀬見さんおじいちゃんみたいです」
「オイ」
「だって、今なかなかそんなこと言う高校生いないですよ」
「悪かったな! おっま……せっかく褒めてやろうとしたのにかァいくね~っ」

頬を引きつらせたかと思えば、恥ずかしさから誤魔化そうと茶化す私の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。

「褒める所なんてあります? この荒れた手に」
「あのな、荒れてんのは酷使してるからだろ」

治る暇もないくらい頑張ってるって証拠だから、俺は嫌いじゃないけどな。
乱した髪を今度は優しく手櫛で整えてくれながらそう付け加える瀬見さんに、ああやっぱりこの人好きだなぁなんて撫でる手の温かさに浸ってしまった。
瀬見さんがそう言ってくれるなら、もうこの手ずっと荒れててもいいや。
水はしみるけど。指曲げるとき痛いけど。
そんな事を思っていたら、その手が不意にぴたりと止まる。

「……ちょっと待ってろ」
「えっ!? ちょ、瀬見さん!?」

言うが早いか、さっさと踵を返して教室へと消えていく。
待って待って、私がうっとりしてたのばれた!?こいつキモッとか思われた!?
慌てて教室を覗き込むと、どうやら入り口すぐの席だったらしい瀬見さんとぶつかりそうになってしまった。


「うわっ! ちょっと待ってろって言っただろ!?」
「すみませ、だっていきなり戻っちゃうから!」
「ったく……。これ取ってきたんだよ。ほら」

びっくりして背中に隠すことも忘れた私の手の平に、冷たい何かが押しあてられる。チューブ型のそれは、

「……ハンドクリーム?」
「それ塗っとけ。少しはマシだから」
「えっ、これ瀬見さんのですよね」
「おお。もう引退してあんまり使わなくなったからやるよ」

部活に出ていた時はセッターという事もあってかなり手に気を使っていたらしい。
指先を他の人より繊細な感覚で使うからだろうか。

「本当に貰っちゃっていいんですか?」
「使いかけでよけりゃ、だけどな」

ぶんぶん首を振って嬉しいですと伝えると、「そか」と今度は笑いながらポンポンと頭を撫でてくれた。

「なんかずっと瀬見さんを支えてたハンドクリームだと思うと恐れ多くて使えないですね」
「何言ってんだバカ」

ついつい本音を漏らすと、照れ交じりのような微妙な呆れ顔をされた。

「ほら、貸せ」
「えっ」

たった今渡されたばかりのクリームを再び取り上げると、さりげなく袖で隠していた私の両手を掴み出す。


「働き者の手もいいけど、柚原が痛い思いしてるのを見たいわけじゃねーんだよ」


言いながら仕方なさげに、けれど優しくクリームを塗ってくれた。
至近距離と手の感触に頭と心臓が爆発しそうになるのを必死で抑えながら。
ああこんなご褒美があるならやっぱり私、ずっと働き者の手のままでいいや、なんて思ってしまった。



時が止まればいいのに。

(もう今、この瞬間が一番幸せ)



title:はちみつトースト



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