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もう少しだけ苗字で呼ばせて


部室に着いていざ着替えようとシャツのボタンに手をかけた途端、適当に放り出した携帯が震えた。
誰からかと覗き込んで、ディスプレイに表示されたメッセージに弾かれた様に教室に向かって飛び出した。

「やべっ」
「ちょっ……岩ちゃん、どこ行くのさ!」
「教室! 今日、日直だった!」

送り主はクラスメートであり、今日の俺の日直の相方である柚原
そう、今日俺は日直だった。それをすっかり忘れていつもの様に部活に来てる辺り、仕事の比重が偏っているのは明白だろう。
1日を振り返ってみると、課題として出されていた大量のプリントを人数分数えて職員室に運んだ覚えしかない。
授業前の準備も黒板消しも気付けば既に柚原が済ませていて、その度に謝ってはいたが、まさか最後までやらかすとは。
日直の仕事の締めくくりとして、日誌の記入がある。
要するに1日の報告をする訳だが、どちらかがサボったりしない様、それぞれが記入した後揃って担任に提出しに行く決まりになっている。
つまり、俺が戻らない限り柚原も部活に行けないって事だ。

「ワリィ、柚原!」


すっかり人気のなくなった教室にぽつんと柚原が座ってるのが見えて焦って飛び込んだら、当の柚原はのんびりと振り返った。

「遅いよ岩泉~」
「悪い、すっかり忘れて部活行っちまった」
「あはは、そんな事だろうと思った」

不満そうな声を上げたのは最初だけで、特に怒ってはいないらしい。
ほっとして広げられたままの日誌を受け取り隣の席に座ると、柚原は何やら顔の前で指を動かし始めた。

「……何やってんだ柚原。エアラッパか?」
「あ、これ?そうそう。甲子園が近いからね、トランペットは頑張り所です」

そう言って相変わらず見えない楽器を楽しそうに演奏し始める。
柚原は吹奏楽部でトランペットを担当してるらしい。
今年は野球部の調子がいいとかで、吹部は欠かさず応援に駆け付けているんだとか。

「いいよな、野球部は。毎回派手に演奏で応援してもらって」
「それね。よく言われる他の部にも。でも体育館で演奏できないから室内球技にはホントごめんなさいとしか」
「わかってるって」

申し訳なさそうに眉を下げた柚原に笑いながら日誌の続きを書き進める。
殆ど書いてくれてあるから、俺は自分の部分を書くだけでいい。マジで感謝だ。
自分もさっさと部活に行って練習したいだろうに、部活柄なのか何かと運動部を優先してくれる。


「やっぱりさ、頑張ってる人は応援したいんだよね」


そんな言葉を平気で言ってしまえるコイツは凄いと思う。
だけどこういう奴こそ応援してくれるといつも以上に頑張れそうな気がするのは、きっと俺だけじゃない筈だ。
つくづく贔屓されてる野球部が羨ましくなってくる。


「そういえば演奏はないけど、バレー部だって結構賑やかな応援してるよね」
「応援?……ああ、1年とかのな」

手を動かしながら頷くと、柚原は「応援には行けないけどさ、」と椅子ごと体を此方へ向けた。

「押せ押せハジメ! いけいけハジメ!もう一本!」
「!?」


突然聞き慣れた部の応援が始まって、何事かとぎょっとして顔を向けた。

「……応援に行けないので、せめてここでと思って」
「お前な……」

やってから恥ずかしくなったのか、はにかんで見せる柚原に、こっちまでじわじわと照れ臭さが込み上げる。
確実に熱を持っただろう顔を見られたくなくて、日誌の上からごつんと額を机に乗せた。


「……それは反則だろ」
「や、違うごめん、やっぱフライングとかダメだよね!? 気持ちだけでも届けばと思ったんだけど!」
「そうじゃねぇよ、バカ」

何つーか色々不意打ちだった。
当日じゃなくても応援してくれようとするいじらしい所も、決まり文句とはいえ突然呼ばれた名前も、……今の顔も。


「……試合が野球部と被らなきゃ、応援に来れるんだろ?」
「だから室内球技は無理だって――……」
「違ぇよ、吹部に来て欲しいんじゃねぇ。お前に来て欲しいんだよ、柚原

机に突っ伏した顔をもそりとあげて柚原を見たら、意味を理解したのか目を丸くしてほんのり頬を染め上げた。
あぁくそ、そういう顔も可愛いな。
「えっと、じゃあ……さっきのはフライングじゃなくて予行演習って事にしてくれる?」
「おう、体育館じゃ声枯れる程叫ばせてやっから」
「さっすがエース岩泉。じゃあ間違えない様に私もちゃんと練習しとこ」
「……練習に名前の方で呼んでくれてもいいけどな」
「えっ、は、はじ……っ、」


さっきはすんなり叫んだくせに、応援という名目がなくなった途端視線は落ち着かずますます頬は赤みを増した。
何だよ、そんな顔されたら期待したくなんだろうが。

「さっきは2回も呼んだじゃねぇか」
「それとは違うって言うか、……もう何なの岩泉のバカ!」
「ハジメだろ」
「それは体育館で!」

うろたえる柚原がおかしくて煽ってみたら、とうとう降参とばかりに両手を小さく上げた。



もう少しだけ苗字で呼ばせて

(なんか、変)(応援じゃないと思うとドキドキするの)



title:恋したくなるお題



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