いいものあげるからこっちへおいで
「檜佐木副隊長、恋次先輩、Happy Halloween!」
突然嬉しそうに走りよって来たと思えば、めばえが不可思議な言葉と一緒にぱっと両手を差し出した。
「Trick or treat!」
「………は?」
「とり……何だって?」
たまたま立ち話をしていた俺と阿散井は、その行動についていけず思わず顔を見合わせた。
途端にめばえは、少しだけ拗ねたような顔をする。
「トリック・オア・トリート!現世じゃ今日はハロウィンって言うんですよ」
ぴっと人差し指を立てて、もう1度はっきりと口にすると、「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」って意味なんですと付け加えた。
最初から俺達が知っていると思ってはいなかったんだろう。
拗ね顔も振りだったらしく、すぐにいつもの笑顔に戻して、そのハロウィンとやらの説明をしてくれた。
要するに10月31日は、その言葉を言われたら菓子を与えない限り何されても文句は言えないってことらしい。
何で菓子をやるのか、何で代償が悪戯なのか、色々納得がいかないが(多分めばえも詳しい事はわかってない)、この楽しそうな顔を見てると無下に出来ないってのが本音だ。
阿散井をちらりと横目で見たら、やっぱり同じことを思ったようで、大きな溜息をひとつ吐くと頭を掻いた。
「ったく、この現世かぶれが。そういう情報ばっかり手に入れてきやがって」
「いいじゃないですか。みんな面白いって言ってくれましたよ」
本当は仮装もしたかったけど、さすがに仕事があるので控えましたと肩を竦める。
乱菊さんや草鹿なら怒られてもやるんだろうが、根が真面目なだけにそこまでは出来ないらしい。
「それでお2人とも、お菓子はお持ちですか?」
見上げるその目に、少しだけ何かを企む光が覗く。
さすがに嫌な予感がして、俺は慌てて懐を漁った。
ちょうど昨日は米が余ったから、ちょっとした菓子を作って持ち歩いていたはずだ。
「お、あったぜ。ほら」
「わぁ、おかきだ! 有り難うございます檜佐木副隊長!」
「何でそんなもんもってんスか……!」
俺が手渡すのをみて、阿散井が露骨に頬を引きつらせた。
その反応に、じゃあ先輩はトリックの方ですねとめばえの顔にいつになく悪戯っぽい笑顔が浮かんだ。
阿散井が反論するより早く、
「縛道の一、塞!」
高らかに彼女が叫んだ。途端に阿散井の体が拘束される。
「なっ……!? おいコラ、めばえ!」
「すみません、阿散井先輩! 今日は無礼講ってことで許してくださいっ」
取り出したのは墨と筆。その気になればあっさり解除できる縛道だが、その暇もなくめばえが阿散井の顔に筆を走らせた。
「ぶっ……!絵心はねぇな、めばえ」
「アンタまでなに笑ってんスか!」
牙を剥く後輩の頬には犬の髭のつもりなのか、綺麗に3本ずつ線が引かれている。
対してめばえはこういうイベントなんですよと満足げだ。
「まぁ洗えば落ちるし、そう怒るな。可愛い後輩の悪戯だろうが」
「さすが檜佐木副隊長」
「ったく、自分がたまたま逃れたからって……」
縛道から解放されながら文句を零し始める阿散井を余所に、めばえが先程渡した子袋入りのおかきをまじまじと見る。
「でも本当、よくお菓子持ってましたね。手作りっぽいし……もしかして貰い物でした?」
「いや。ちょうど昨日休みだったし、余った米で気が向いて作った」
「え、檜佐木副隊長ってお料理出来るんですか!?」
「出来るっつーか、むしろ得意な範囲だな」
「うわぁ……、そうだったんですか」
知らなかったです、と呟くめばえの目が輝いていた。
これはあれか?男の人がお菓子まで作れるなんてすごーいっていう、尊敬の眼差しか。
思わぬところで点数稼ぎになったらしい。
そんなめばえの顔を見て、ふと思いついた。
「何なら今日、うちに来るか?お前の好きなもの作ってやるよ」
「ホントですかっ!?」
「ああ、大抵のもんなら作れるはずだ」
「ちょっ……檜佐木さん!?」
素直に喜ぶめばえとは逆に、俺の意図に気付いたらしい阿散井がぎょっとして顔を上げる。
言うなよとそれを目で制して、しっかり勤務後の約束を取り付けた。
勤務後とは言え、恐らくめばえは貰った菓子類は全て置いてくるだろう。
菓子をご馳走になるのに他の菓子を持ち歩いてたら失礼じゃないか、なんていかにもめばえが考えそうだ。
「めばえ。さっきの言葉、もう1度教えてくれ」
ゆっくりと発音してもらって、自分も口の中で何度か繰り返し記憶する。
菓子か悪戯か。現世にはいい行事があるもんだよな。
嬉しそうなめばえと恨めしそうに睨む阿散井に挟まれながら、少しだけ唇を吊り上げた。