奇跡に等しい確率で
そもそも自分の近眼が悪いのか、どこも似た造りの病院の大部屋が悪いのか。
院内売店から自分に割り当てられた病室のベッドに戻るのに、まさか事件が起こるとは思わなかった。
556号室、入り口すぐの1ベッド。
プライバシーの為に締め切られたカーテンを開けたら、目の前で上半身裸の男の子が驚いた顔で振り向いた。
「………なんだ、テメェ」
見開いた目を今度は一転、険しく吊り上げて此方を睨みつける。
中学生だろうか。どこか幼さの残る端正な顔立ちから発せられた、唸るような低い声に思わず怯みかけるも何とか持ち直す。
「な、何って、え? キミこそ私のベッドで何やってんの?」
「何が自分のベッドだって?」
「小鳩ちゃん、こっちこっち。そこ男部屋だよ」
「え!?」
隣の部屋からちょうど出てきた看護師さんが、笑いを堪えながら手招きした。
「そっちは555号室。プレートよく見て。ごめんね凌牙くん、着替え覗いちゃって」
「ちょ、看護師さん! 人聞き悪い事言わないで!」
慌てて否定したけど、言われた通りプレートに顔を近づけて見れば、確かに同じ数字が並んでいる。
…………完全に私のミスだ。
謝ろうと恐る恐る視線を戻せば、既に上着に腕を通した彼が冷ややかな非難の目を向けていた。
「わかったかよ、痴女」
「あれは…ないですよね……。ちょっと間違えただけなのに……」
あんまりな彼の言い様に、今度こそ自分のベッドで血圧を測ってもらいながら力なく零した。
「小鳩ちゃん、そんなに目が悪いのにコンタクトとか眼鏡とかしてないの?」
「普段はコンタクトしてます。入院中は洗浄用品が荷物になると思って眼鏡にしたけど」
眼鏡をしなかったのは、多少視界がボケてようと生活する分には何とかなると思ったからだ。
それとマスクをするから、あまり眼鏡と併用したくなかったというのもある。
曇るし、何より見た目が怪しいからできれば避けたい。
じゃあマスクを外せと思うだろうが、私は厄介な親不知抜歯の為に、今日から2泊3日の口腔外科入院。
必然的に術後腫れる両頬を隠すためには、女子としてこの大き目のマスクがどうしても譲れないのだ。
もっとも鎮痛剤と抗生物質が良く効いたのか、与えられた予備知識程の酷い痛みも腫れもなかったけど。
点滴が繋がれた状態ではあるけど行動制限はないし、ちょっと腫れた両頬をマスクで隠せば普段となんら変わらない状態だから、大人しくベッドにいるのはそれはもう暇なわけで。
ふらふらと売店まで遊びに行ってしまった――その矢先に、これだ。
「タイミングが悪かったんですよね。何でよりによって着替えてるかな、上だけでよかったけど!」
「多分包帯を巻き直した後だったんじゃない? 先生が様子見に来てたから」
そういや腰のあたりをぐるぐると白い包帯が巻き付いていた。
何をしたら中学生があんな大怪我するんだろう。ケンカかな、ちょっとガラ悪そうだったし。
理由を聞きたかったけど、さすがにそれは守秘義務だといって教えてくれなかった。
「でもちょっと縫っただけで済んだから、小鳩ちゃんと同じ位に退院になるんじゃないかな」
「悪態つけるくらい元気そうでしたしね」
「凌牙くんはね~、ちょっと気難しい子だから。中学生なんてあんなものかもしれないけど」
いやいや看護師さん。それ偏見ですって! 少なくとも去年までの私はあんな荒んでませんでした!
何であんな敵意剥き出しなんだ。最近の中学生って、怖い。
翌朝。朝食が終わってまたしても暇を持て余し、点滴棒を引き摺って部屋を出た。
本来なら同室の人と仲良くなったりするんだろうけど(おばあちゃん情報)、私の居る5階病棟は主に外科系の短期入院患者が多い場所。
比較的年齢層は若く、プライバシー保護用のカーテンを閉めきって個々に過ごしている人達ばかりで話しかける隙がない。
結局診察や処置が終わると、暇潰しにこうやって1人ふらつく事になってしまうのだ。
仕方ない、また売店でもと隣の部屋の前を通りがかって――ふと足を止めた。
看護師さんが検温を終えて出て行った後なのか、締め切れてないカーテンの隙間から昨日の“凌牙くん”が見える。
ベッドの上に何かカードのようなものを広げて、真剣な顔をしてる……気がする。
昨日の事件があってもマスク優先で眼鏡をしない私は、絶対いい度胸してると思う。
そのボケた視界の所為で、彼が視線を向けた事に気付かなかった。
「……また覗きかよ、痴女」
「えっ!? あ、違うよ! ちょっと何してんのかと思って見ちゃっただけで!」
「覗いてんじゃねぇか」
……うぅ、語るに落ちるとはこのことか。
「それ、何やってんの? トランプ?」
それでも懲りずに話しかけてしまったあたり、私は相当話し相手を欲してたに違いない。
鬱陶しそうな舌打ちが聞こえたけど、
「……デュエルモンスターズ」
そのまま無視するかと思いきや、言葉少なでもちゃんと返事をくれた。
それが妙に嬉しくて、思わず身を乗り出してしまう。
「デュエリストなの? 私もデッキ持ってるよ!」
「アンタもデュエリスト?」
お、反応してくれた。
正直言って勝率がいいとは言えない腕だけど、そこは黙っておこう。
「デッキは持って来てんのか? どうせ暇なんだろ」
「うんっ。すぐ持ってくる!」
デュエルに誘われたんだと気づいて、急いで隣の部屋に引き返した。
コンタクト用具一式は置いてきても、デッキだけは暇潰しになるかもと持ってきた私って偉い。
デッキと眼鏡を掴んで彼の所に戻ったら、早くもシャッフルしながら待っていた。
見舞客用の丸椅子を借りてベッドの傍らに落ち着く。
ARシステムはさすがに使えないし、ちょっと迷ったけどカードテキストを読む為に仕方なく禁断の眼鏡&マスクスタイルを取る事にした。
「コンビニ強盗でもする気かよ」
「言わないで、怪しいのは分かってるから」
花も恥じらう女子高生なのに……と嘆いたら、無愛想な彼が小さく喉を鳴らした。
笑った所、初めて見た。この姿も悪い事ばかりじゃないみたい。
「……勝てぬ……」
「アンタ、本当に弱いな」
「違う、凌牙くんが強すぎるんだよっ」
エクシーズモンスターは1ターンで並び、何手も先を読んで罠も効果も華麗にかわしていく。
何なの、この子本当にただの中学生? 絶対どこかの大会で入賞してるよね。
がっくりと肩を落としたら、ひとつ溜息を吐いた後、広げたままの私のカードを1枚拾い上げた。
「アンタのデッキ、シナジーがなさ過ぎる。デッキ枚数も多くないか? 何枚にしてんだ」
「えーと……47枚」
「馬鹿か。余計なカード入れてるからキーカードが回ってこねぇんだ。使いたいのはこいつか? だったらこっちは要らねぇ。これもだ」
「えぇ、でもこのカードで勝った事あるのに」
「偶然だろ。なけりゃ別のカードで勝ってただけだ」
「そ、そうなのかな」
功績を上げたカードは愛着があって外せないけど、凌牙くんにこうもばっさり言われると諦めもつく。
その後も容赦なくカードを切り捨てて、必要な効果のカードも教えてもらった。
やっぱりこの子、すごい。年下だって事も忘れてひたすら感心してしまった。
「ありがとー。帰ったら持ってるカード見てみるね」
「あぁ。……オレも今日は余計にカード持って来てねぇから、」
「あれ、今日は2人でカード広げて。もうお昼だよ」
「え、もうそんな時間!? 戻らなきゃ。じゃあね、凌牙くん」
「あ、おい!」
いい匂いがしたと思ったらヘルパーさんがお昼を運んできたらしい。
配膳の邪魔にならない様に慌ててカードをかき集めて出ようとしたら、意外にも呼び止められた。
結局食事を置きに来ただけのヘルパーさんの方が先に部屋を出ていく。
「アンタ、退院いつだ? それだけ元気なら早いだろ」
「うん、明日の朝だよ。凌牙くんは?」
「今日の午後。最終診察と処置終えたらそのまま退院になる」
「えっ、そうなんだ?」
同じ位だとは聞いていたけど、見た感じ大怪我な彼の方が早いとは思わなかった。
せっかく仲良くなれたのにと言いかけて、咄嗟にごくりと飲み込む。
退院できるのは喜ばしい事なんだから、寂しいなんて不謹慎な発言をするわけにはいかない。
「良かったねぇ、おめでとう。お大事にね」
「あぁ。………なぁ、」
「ん?」
「名前。……まだ聞いてねぇ」
聞き辛いのか、ほんの一瞬目を合わせただけで顔を背けてしまう。
そう言えば看護師さんの話から一方的に知っただけだったと、今更気づいた。
「私、柚原小鳩。高1だよ」
「神代凌牙、……中2だ」
カッコいい子は名前までカッコいいのかと妙な感心をしていたら、今度は唐突に手を掴まれた。
「な、何?」
「うるせぇ、ちょっと黙ってろ」
「黙れって――……え、ちょっとくすぐっ……痛い、痛い!」
手の平を上に向けさせたかと思ったら、置いてあったボールペンでごりごりと何かを書き込んでいく。
何度か振り払いそうになるのを耐えて、書き終えたそれを見れば、
「……これ、もしかして凌牙くんの連絡先?」
「家にならアンタにやれるカードもあるから、欲しけりゃ連絡しろ」
放るように手を離すと、運ばれてきた食事へと体を向けてしまった。
手の平に雑に書き込まれたそれが嬉しくて、知らず知らずのうちに頬が緩む。
「カードの事じゃなくても連絡するのはアリ?」
「……勝手にすりゃいいだろ」
素っ気ないその返事が彼らしい。今度こそ私も踵を返して部屋を出た。
「ご飯食べたらまた来るね!」
そして一足先に退院する彼を見送ろう。早速メールを送ってみるのもいいかもしれない。
不安と退屈ばかりだった入院が、こんなにも楽しいものになるなんて。
初めての入院は、忘れられない2日間だった。
奇跡に等しい確率で
(だけどこの出会いはきっと、偶然なんかじゃない)
title:恋したくなるお題