隣の席のあいつと数学の時間
夏休み前、数学だけ通常の夏休みの課題に、追加としてプリントが渡された。
私はといえばすっかりそんなの忘れていて、机の中に入れっぱなし。
5時間目の授業の後集めるよと、よりによって昼休みも終わる頃日直に言われて、一気に全身の血が引いた。
数学の先生はちょっと煩いから、きっと「忘れました」じゃすまないだろう。
こうなりゃ授業が終わるまでにやりきるしかない。
慌ててプリントを出して問題に向かい始めたら、隣の御幸が俺もやってないと机を漁り出した。
野球部は夏が本番だから、練習練習であんまり時間が取れなかったらしい。
だけど仲間を見つけて喜んでる暇もなく昼休みは終わり、運命をわける数学の授業が始まった。
私も御幸も、授業そっちのけで必死にプリントを解きにかかる。
……はずだった。
「柚原、勝負しようぜ」
「……は? いきなり何の?」
「勝けたら、勝った方のプリントまでやるってのどう?」
「嫌だよ、そんな危険な賭け!」
「はっはっはっ、俺は絶対負けねぇけど」
「自信があるなら尚更やりたくないよ!」
ただでさえ苦手な数学、そんなリスクを負う余裕があるものか。
にんまり笑う御幸に、こそこそ小声で言い返す。
大体御幸は数学得意だった気がする。自分でやったほうが早いし、安全だと思うんだけど。
私とは裏腹に、いつまで経っても焦る様子のない御幸を横目で見て、はっと我に返った。
そんなこと考えてる場合じゃない。いつの間にか授業は、もう残り半分を切っている。
「ちょ、もう私に構わないで。自分のですら間に合うかわかんないんだからっ」
「だろうな。柚原単純計算すら遅いし」
「(この……!)悪かったね。自分こそ、いい加減やらないと間に合わないんじゃないの」
「俺は10分もあれば余裕」
言うなり目の前でさらさらと解答欄を埋め始める。
ああ、私が苦戦している3問目もあっという間に……!
呆然と眺める私に気付くと、にやりと笑って「見るなよ?」なんてわざとらしく隠す真似をした。
なんて嫌味な奴! 倉持がいつも、こいつと話すたび怒り狂ってるのがよくわかった。
ふん、と鼻息荒く再びプリントに向かい合った私に、ちなみにと御幸が付け加える。
「野球部は青道の看板部活だから、夏は結構大目に見てもらえるんだよな」
な、な、なんだとおおおお。
そんな事があっていいのか。だから出来ても出来なくても余裕だったんだ、こいつは!
大変だなー文化部は、なんてニヤニヤする御幸の首を、本気で絞めてやりたくなった。
要するにあれか。単に私をからかって喜んでただけか。
こいつ、本当に性格悪い……!
「ところで柚原、もうひとつ提案がある」
「もう、何さ!?」
怒り任せに(でもちゃんと声は潜めた)勢いよく振り返ったら、御幸は見事に解答欄の埋まったプリントをひらひらさせて、私を見ていた。
「俺と付き合うって言ったら、これ見せてやってもいいんだけど」
どうする?
いつもの意地の悪い笑みを満面に浮かべて、御幸が餌をばら撒いた。
これに手を伸ばしてしまえば、きっとこれからも私はこいつのおもちゃだろう。
そもそも付き合うってなんだ。どういう意味なんだ。どこまで本気なんだこの男は。
だけど見下ろしたプリントはまだ3分の2ほど空白で、タイムリミットはあと10分弱。加えて私の左脳の弱さ。
イコール。
……確実に、間に合わない。
「……くっ……、覚えてなよ御幸……!」
考える時間すらない。
退路を断った上での交渉なんて、ただの脅迫だ。
暫く御幸を睨みつけ、震える手をそのプリントへと伸ばした。